ふと思い立って吊り革の歴史を調べていたら思いの外面白かったのでダラっとまとめておきます。
[鉄道総合技術研究所]文献検索内の鉄道技術 来し方行く末 第9回 吊り手.pdfより
革の歴史を調べていると
人類が初期に手にした繊維の中でもトップクラスの頑丈さを誇る「革」ですが、随分と長い間「頑丈な繊維」としての地位を確立していきました。
戦前まではトップクラスに重要な繊維でったわけで。
戦争に必須な靴、1つのモーターから機械に動力を伝えるために必須な工業用ベルト、織機に必要なピッカー、パッキンなど、様々にその頑丈さを買われて長年使われていました。
電車の中では「吊り革」が使われていました。
吊り革は遡ると1870年イギリス
遡って調べると1870年の鉄道馬車に吊り革のご先祖様があるようです。
絵の中では吊り革、というよりは釣りベルトとなりますね。これが起源だとか
[鉄道総合技術研究所]文献検索内の鉄道技術 来し方行く末 第9回 吊り手.pdfより
1900年頃から牛革のベルトが立つお客さん用に鉄道車両に取り付けられていたことが写真などで確認できるとか。
革の吊り革は非衛生?
ニューヨーク地下鉄では1917年、日本でも1927年にはホウロウ製(金属にガラス釉薬を焼き付けたもの)に取って代わられたとか。
これは牛革より衛生的と考えられたから。
東京地下鉄道史には「一般の吊り手が『手垢に汚れて衛生上から見ても好ましいものではない』と記述されているとか。
また、ロンドン地下鉄では1923年には牛革からゴム製に変更されています。
これに対して日本では牛革の吊り革が昭和40年まで使われていたとか。
その間には戦時中の皮革統制があり、戦後には皮革統制令解除まで代用品が使われていました。木、竹、ロープ、セルロイド、布入りゴムなど様々。戦後には余剰になったジェラルミン製のものもあったとか。
面白いのは「吊り革は非衛生なのでは」という風潮が今現在も続いている、という点。
吊り革自体はすでに抗菌仕様がほとんどだそうだが、下記のような品も出ているくらい
実際問題、革の敵としては汗や光があげられる。
革屋革製品は長期間の耐久性がなければならないが、使用や保存中に大気や汗などによって革中の脂肪分やpHno変化が生じ、革の機械的な特性などが疲労してくることがある。(皮革ハンドブック p92)
まぁ、吊り革や革素材にかぎらず汗は色々な素材に対して大敵ではありますね。
牛革吊り革の欠点
非衛生的に加えて、牛革には「伸びたり切れたり」という欠点もありました。
これに対して異繊維を重ねて貼り合わせる、麻綿2重織の布に塩化ビニル樹脂を浸透させたもの、など代用品が開発されました。
1952年には阪神電車で試用、54年には一斉採用などが始まりました。
ターニングポイントの1951年桜木町事故
京浜東北線桜木町駅構内の上り線で碍子交換工事を行っていた電気工事作業員が誤ってスパナを落とし、上り線の架線が固定されず垂れ下がってしまっていた。作業員は上り線のみ列車を進入させないよう手配を行ったが、下り線は通常通り運行できるとした。結果、京浜東北線の赤羽発桜木町行き下り第1271B電車(63系5両編成、所定ダイヤより9分遅れ)が下り線からポイントを渡って上り線に進入、垂れ下がっていた上り線の架線に先頭車のパンタグラフが絡まった。運転士は急いでパンタグラフを下ろそうとしたが、先頭車のパンタグラフは破損して車体と接触した状態になり、そこに電流の短絡が発生。激しい火花とともに可燃性の塗料に着火し、車両は木製の屋根から炎上を始めた。結果、先頭車のモハ63756が全焼、2両目のサハ78144が半焼して焼死者106人・重軽傷者92人を出す大惨事となった。
。後に車内天井の鋼板化、貫通路拡張、三段窓の全段可動化など、徹底的な体質改善工事を実施し、800両にも及ぶ対象車の体質改善工事はわずか2年強で完了した。これらのことは、この事故が社会に与えた衝撃の大きさを物語るものといえる。
この事故以降、外装、内装、塗料、そして吊り革に至るまで難燃性素材が採用されるようになったとか。
参考
[鉄道総合技術研究所]文献検索内の鉄道技術 来し方行く末 第9回 吊り手.pdf
つり革 – Wikipedia
桜木町事故 – Wikipedia
失敗事例 > 桜木町の列車火災
鉄道トリビア (122) 「吊り革」は革製ではない。もう革製には戻れない | マイナビニュース
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